クラブの歩み |
![]() われらガイナーレ鳥取の挑戦1980年代●1983年 ガイナーレ鳥取の前身『鳥取教員団』の誕生 ガイナーレ鳥取は、鳥取県内の教職員で構成されたサッカーチーム『鳥取教員団』としてその歴史をスタートさせました。今現在も、県内でサッカーの指導者的立場で活躍されている先生たちの若かりし頃、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」チームとして産声をあげたのです。 ●1986年 山梨国体で堂々の優勝! 1986年開催の山梨国体。 『鳥取教員団』が主力となって活躍し見事に優勝。その当時は大きな話題となりました。 ●1989年 チーム名称を変更、『SC鳥取』に 教員に限らず開かれたチームとなるべく、名称を『SC鳥取』と変更。その名称には「鳥取県を代表して全国相手に戦う」「県内選手の力を合わせて全国に立ち向かう」という理念が受け継がれました。 設立当初からの活動拠点だった鳥取県・米子市在住メンバーを中心としつつも、県中部・東部からも好選手が集まり、切磋琢磨をつづけました。 1990年代●チームの低迷 1990年代は国体優勝メンバーが加齢とともに選手から指導者へと立場を替えチーム戦力がダウン。戦績はしばらく低迷します。 2000年代●2000年 低迷からの復活---JFLに昇格! OBの指導を受けた地元選手達が大活躍した中国リーグ。中国地区の強豪実業団チームを次々と撃破し、山陰勢として初の優勝に輝きました。 その勢いを駆って臨んだJFL日本フットボールリーグ参入決定戦でも全国の強豪実業団チームを連破し、見事JFL昇格権利を獲得しました。 しかし、この快挙の影でチームには数千万円にのぼる年間活動資金問題が浮上。メンバーによる討議の末、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」理念のもとにJFLの舞台に挑戦することを決定。この時、幅広く地域の支援を獲得するべく「地域に根ざし愛されるクラブチーム」という新たな理念が加えられました。 ●2001年 いよいよJFL参戦! JFL初年度の活動は試合成績では最下位ながらNPO法人やまつみスポーツクラブの運営サポートを先導に、物心両面の幅広い支援が地域市民・地元企業・自治体などから寄せられました。また、数字としても観客動員数第2位となるなど、必死となったチーム活動に地元の大きな反響が得られたと同時に、全国的にも話題を呼び、「地域発全国へ」の大きなうねりが産み出されました。 ●2002年 チーム大躍進!全国レベルを証明 入替降格制度が導入され、早くから成績面が危惧されていました。JFL残留争いが話題となった1年で、最終的に18チーム中13位の成績を収め、名実共に全国レベルのチーム活動であることを証明しました。 ●2003年 チーム愛称決定!その名は『ガイナーレ』 新加入選手が大幅に入団、フレッシュな顔ぶれから「新生SC鳥取」と呼ばれ、チーム愛称も「GAINARE(ガイナーレ)」に決定。 チームは5連勝7試合負けなしというの快進撃を演じ、一時は6位につける大躍進。最終的には10位となったものの残留争いを演じた前年比べ確実にチーム力UPをとげ、大きな飛躍を見せました。 ●2004年 JFLで戦う苦しさを実感 この年、徳島ヴォルティス・ザスパ草津のJクラブ昇格が決定。JFLは史上最高となる観客動員数を記録。対外的に注目度が上がる中、各チームの強化体制もレベルアップ。シビアな競争の度合いが増したJFLで、SC鳥取は9連敗を喫するなど常に残留争いという苦しい苦しいシーズンを送りました。 最終的には終盤のホームでの連勝で残留を果たしたものの、更なるチーム力や運営組織の強化の必要性を痛感させられたシーズンとなりました 。 ●2005年 新たな決意を胸に新体制スタート 16名の新加入選手、吉川新監督を迎えてのチーム体制でスタートした2005年シーズン。シーズン目標に『JFL8位』『天皇杯3回戦突破』『JFL総観客数リーグ1位』を掲げ、JFL昇格後最高のリーグ6連勝を飾る活躍もありましたが、いずれの目標も達成することはできませんでした。 しかし試合だけでなく、やまつみスポーツクラブとの協働による青少年年育成プログラム『復活!公園遊び』を通して子供達や地域との触れ合いの機会が増え、地域とのつながりという意味で大きな自信を得た1年となりました。 ●2006年 Jリーグ参入へ 覚悟の年 2008年Jリーグ参入に向けた準備の1年目。新監督に2005年選手として活躍した木下桂氏を迎え、ヴィッセル神戸(当時JFL)選手時代のJリーグ参入争いでの経験とその後のアメリカでのプロ選手/コーチの経験を生かした采配が光りました。選手は2005年シーズンの主力がほぼ全員残り、その選手たちのポジションを脅かす競争相手としてJリーグ経験者を含め5人の新加入選手が加わりました。 開幕からリーグ上位の相手に退けを取らない戦いの数々。結果としては引き分けが多く思うように上位に上がることはできませんでしたが、着実に力をつけてきている実感させる1年となりました。 非常に厳しい環境の中でもモチベーションを落とすことなく1年間を戦い抜き、得点数ではリーグで6位という成績を修めたものの、失点の多さに関しては改善が必要と思わせるシーズンとなりました。 1983年の創立から2005年シーズン終了まで、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」「地域に根ざし愛されるクラブチーム」の理念のもと、地域の方々と共に『われらSC鳥取の挑戦』として戦い続けてきましたが、JFLにおける5年間の活動が広く県民の関心事となったことを踏まえ、2005年12月、チームの活動目的をできうる限り県民の利益に寄与する内容に変更する必要・使命があると判断し、以下の通り変更しました。 〔新活動目的〕 県民に、夢と希望と感動と一体感を提供する。 〔目的を達成するための事業〕 ■青少年育成プログラム『復活公園遊び』の全県範囲での開催 現在NPO法人やまつみスポーツクラブ主導により行われている『復活公園遊び』を、SC鳥取関連事業として全県範囲開催に取り組み、青少年の健全育成を図る。 【 >>関連ページはこちら 】 ■Jリーグ加盟による『夢の舞台』創出とスペクタクルな空間提供 平成20年度の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)参入を果たし、県民に対して、シンボル且つアイドル作用を内包するサッカー組織を創出する。 ■東部・中部・西部のそれぞれに活動拠点を確保し、県民の一体感醸成に努める。 東部・中部・西部のそれぞれに下部組織を整備し、全県地区の共同作業として次世代育成を図る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
SC鳥取活動記録:所属リーグ
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